夜がな夜っぴて考え事…

趣味で自由に小説書いてます

散文12『偶然の再会』

 休日、私は楽器屋に行ってみようと思い立った。やはり何か楽器をやってみたいと思い、まずはこの目で見て、自分に合いそうな楽器を選ぼうと思ったのである。私の少ない知識から選ぶより、もしかしたら思いがけない出会いがあるかも知れない。私の住む街には小さな楽器屋しかなかったので、私は車を走らせ、S市に向かった。

 駅前の駐車場に車を止め、先日のメガネ屋の前を通り過ぎ、私はアーケードの中へと入っていった。アーケードの中はお昼時ということもあり、多くの人が行き交っていた。人の波を掻き分けながら、駅から離れるようにアーケードの中を進むと、中程まで来たところで楽器屋の看板が見えてきた。店の前に着くと、店頭のディスプレイには煌びやかに光る楽器たちが陳列してあった。どれも美しい輝きを放っている。一瞬目を奪われたが、ふと我に返って値札を確認すると、明らかに「0」の数が私の予算よりも多い。恐らく、音楽を生業にしている人たちがこのような楽器を使っているのだろう。私のような音楽初心者には、鑑賞する程度がちょうどよい。私は気持ちを改めてから、颯爽と店内に入っていった。

 入ってすぐに目に入ったのは、ギターやキーボードなど、私にも馴染みのある楽器である。フムフム、ギターもいいな。アコースティックギターも格好いいが、エレキギターもギャップがあっていいかも知れない。キーボードもまた、繊細な指使いに憧れがある。何となく自分がそれらの楽器を演奏している姿を想像しながら、一通り見た後、今度は店の奥のほうへと向かった。

 店の奥には、どちらかと言うとクラシック音楽で使用されるような楽器が並べてあった。ヴァイオリンは分かる。チェロも分かる。ヴィオラ? は聞いたことがない。ヴァイオリンと何が違うのだろう? 管楽器も幾つか知っているぞ。フルート、クラリネット… オーボエ? おっと、これは知らないな。

 トランペット、トロンボーン、ホルン、この辺は学生時代に吹奏楽部が演奏していたのを見たことがある。炎天下の野球部の応援で、選手同様、顔を真っ赤にしながら楽器を吹いていたのを覚えている。

 とりあえず、頭の中で楽器の名前を復唱しながら、店内にある全ての楽器を見て歩いたが、たくさんの種類、かつ、値段もピンからキリまであるようだ。どれを選ぶかは、予算と本気度のさじ加減と言ったところか。どれもこれも興味はあるが、どれが自分に合っているのか、全く予想が付かない。まず店員に聞いてみようと思ったが、周りを見渡すと、どの店員も接客に忙しそうで声を掛けづらい。

「仕方がない」

 私は店員の手が空くまで待とうと、割と人口密度の少ないクラシックコーナーで、楽器を眺めることにした。

 しばしの間、私は店員の様子を伺いながら、管楽器の鑑賞に興じていた。

 しかしまぁ、管楽器というのは面白い構造をしている。弦楽器は、弦を一定のところで押さえれば弦の長さが変わって音が変わる、というのは理解が出来る。輪ゴムの伸ばし具合でビヨンビヨンと音が変わるのと理屈は一緒だろう。一方、管楽器はどうだ。金管楽器はボタンのようなものが34つしかないし、逆に木管楽器は指で押さえるところがたくさんあり、尚且つ、複雑なギミックが付いている。まさに複雑怪奇。吹奏楽部のみんながこのような楽器を演奏していたとは、間近で見てその複雑さを目の当たりにし、尊敬の念さえ抱いてしまった。演奏というより、「操作」のほうがむしろしっくりくる。

 終盤は、店員のことなどすっかり忘れて見入ってしまっていた。突然声を掛けられ、びっくりして顔を上げるまで、横に女性が立っていたことなど全く気が付かなかった。

「こんにちは」

 声を掛けてきたのは、先日メガネを購入した時の、あの店員である。

「あ、こんにちは」

「お久しぶりですね。先日はどうもありがとうございました。レンズの調整とかあれば、いつでもいらしてくださいね」

「ええ、ありがとうございます」

 メガネ店員は相変わらず、おしゃれな丸メガネを掛けこなしていた。

「楽器をやられるんですか?」

「いや、やったことないんですけど、ちょっと興味があって」

「へぇ、何となく出来そうな雰囲気ありますけどね。クラリネットとか似合いそう」

 そう言って、彼女は楽器と私の顔を交互に見てきた。私は「似合う」という言葉に少々照れて、「そうですか」と頭を掻いた。

「店員さんにお願いすると、試奏とか出来ますよ… っていっても、今混んでますね」

 周りを見ると、我々の近くには店員の姿は認められず、遠くに見える店員も接客中のようである。

「実は、このお店に大学時代の先輩が転職したっていうんで、遊びに来てみたんですけど、忙しそうですね。先輩の姿も見えないし。今、休憩中に抜けてきたんですけど、すぐに戻らないといけないんで、また今度ですね」

 肩をすくめてそう言う彼女の表情には、先日メガネ屋で会ったときよりも、あどけなさがあった。

「それじゃ、私は先に失礼しますね。それじゃ、また」

「えぇ、また」

 彼女は軽く礼をして、踵を返そうとした。すると「あ!」と何かに気付いて、反転したところで、体をまた私のほうへ向き直した。

「私、佐久間っていいます。今度お店にいらっしゃったら、声かけてください」

 同時にポケットから何かを取り出した。それはネームプレートだった。ネームプレートを私に向けながらニコリと笑顔を見せた彼女に、私は慌てて「東雲です」と名乗った。

「東雲さんですね。お待ちしてます」

 そう言って、彼女は先ほどより丁寧にお辞儀をして、再び踵を返し、出口へと向かっていった。

 私はその姿を最後まで見送った。ほんの束の間であったが、彼女が去って、何となく空虚感が残った気がした。姿が見えなくなっても、視線は出口に向けたまま、私は頭の中で彼女の言葉を反芻した。

クラリネットか、悪くないな」

 私の頭の中は、その言葉と、クラリネットを吹く自分のイメージでいっぱいになっていた。