散文NEO-13『かみなり』
私は雷が苦手である。ゴロゴロという音もさることながら、私が最も苦手なのはあの稲光である。空がピカッと光った瞬間に先ず心臓をギュッと鷲掴みされたような感覚になり、それとほぼ同時に次は雷鳴に備えなければならないという二重苦に苛まれるからである。雷が落ちた場所が近ければ雷鳴はすぐに轟き、稲光と合わせて間髪入れず心臓をギュギュっとされるし、遠ければ遠いで雷鳴に備える時間がまるで刑の執行を待たされているかのようで居た堪れないのである。
「そんな、大袈裟な」と、私のことを一蹴したのは花崎さんである。
「雷くらいでビビッてるんですか? 子供ですね」
「いやいや。そんなことを言ったってだな、怖いものは怖いんだから仕方ないじゃないか」
私は反論するも、その言葉に説得力は無い。
「僕も雷は苦手ですね。花崎さんはそういうの苦手じゃなさそうですね」
私の援護をしてくれたのは小林君である。
「何それ、どういう意味よ」
「いえ、額面通りの意味で…」
まるで猛獣に睨まれた子犬のように萎縮してしまった小林君であったが、「よくぞ言ってくれた」と私は心の中で呟いた。
その時、再び稲光が空を照らした。
「うわっ」っと思わず声が出た。
「はぁ」とため息をつく花崎さん。だって仕方ないじゃないか。
時刻は19時を回っていた。夜にかけて雷を伴う雨が降ると聞いていたものの、心の準備をしたところで意味もなく、空が光るたびに私は声を上げていた。
「そう言えば、雷が鳴ったらへそを隠せっていうのありませんでしたっけ?」
そう言ってきたのは花崎さんだった。
「あぁ、あれか。確か雷が鳴り始めると空気が冷えるから、お腹が冷えないようにっていう教えじゃなかったかな」
私は小さい頃に祖父母から教わった説を披露した。すると小林君も話に乗ってきた。
「僕はへそを隠そうとする動作が屈む姿勢になるので、そうするって聞いたことがあります」
「屈む姿勢に何か意味でもあるの?」
「出来るだけ背を低くするためです。雷って高いところに落ちやすいから」
「あぁ、なるほど」
私と花崎さんは納得したようで、何となくピンと来ていなかった。
「でも屈んだくらいでって気もするけど」
花崎さんは私も思っていたことをあっさりと言い放った。
「確かに。僕もそう思います」
「まぁ、そういうものにはいろいろな説があるんだろう。後付けもいくらでも出来るしな」
「そうですね。でも教え的にはお腹が冷えないようにっていうのがしっくりきますね」
「そう? それも、そんなことをしたところでって気がするけど」
どうやら花崎さんはこの辺の俗説には興味が無いようである。
「雷の語源は“神鳴り”と言われるくらいだから、恐怖心を抱くには十分な存在であったわけだな。いずれにしてもへそを隠す動作は防御の姿勢なわけだから、雷に対して多少ビビッてしまうのも生物としての性というわけだ」
私はここで自分のビビりを正当化しようと試みたが、「そうですね」と花崎さんに流されてしまった。ぐぬぬ、これでは先輩としての威厳が…
「そうだ、パソコンのデータは小まめに保存しておけよ。万が一、停電なんてしてデータが消えたら大変だからな」
私はここぞとばかりに先輩らしい助言をしてみた。
するとどういうことだろう。まさにそのタイミングで部屋の電気がバチっと消えた。
「あ!」
「停電ですね」
「まさかこのタイミングでとは… データは大丈夫か? 二人とも」
「はい。大丈夫です」
「僕も大丈夫です」
「そうか、それは良かった」
私は安心したのもつかの間、あることに気がついてしまった。
「あ…」
「どうしたんですか? 先輩」
「いや、何でもない」
なんと、私自身がデータを保存していなかったことに気付いてしまったのである。
正直どこまでの作業を保存していたか覚えていない。私の額に汗が滲み始めた。
「停電になっちゃいましたし、今日はもう帰りますか」
そう言った花崎さんの顔がスマホ画面の灯りで照らし出された。
「あぁ、そうだな… どのみちこんな時間だしな。今日はもう帰ろう」
「了解です」と言って小林君もスマホのライトを点け、帰り支度を始めた。
私は「やってしまった」と心の中で落胆していた。明日の午前中に提出しなければならないデータであったが、データの作り直し時間を加味すると午前中の提出は厳しいかも知れない。私は明日の早出を覚悟した。
やはり神の所業は恐ろしい。私はそのことを痛感し、同時に小まめなデータ保存の重要性を改めて学んだのである。
もちろん二人にはデータを保存していなかったことは言えまい。威厳も何も無くなってしまう。
私は何食わぬ顔で帰り支度をするしかなかったのである。