散文NEO-12『変わりゆく』
今日は小林君と一緒に打ち合わせに出ていた。特に二人で行かなければいけない案件ではなかったが、小林君の経験値を上げるために打ち合わせに同行させたのだ。
我々は打ち合わせ後、休憩を取るために喫茶店に入った。
「お疲れ様。今日の打ち合わせはどうだった?」
「はい、とても勉強になりました」
「そうか。そのうち小林君にも打ち合わせの場で話してもらうつもりだから、覚悟しておけよ」
「はい、分かりました」
小林君は飄々と受け答えをした。相変わらず掴めない男である。
注文した飲み物を待っている間、私は以前気になったことを小林君に聞いてみた。
「そういえばこの前テレビで観たんだが、今の若い子たちは“筆箱”とか“下駄箱”って言わないらしいけど本当かい?」
「あ、それ僕も知ってます。ネットでも話題になりましたね。“平成生まれは~”とか言ってましたけど、僕は普通に言いますよ。周りの友達も言ってますしね」
「そうか、それは良かった」
私は人知れず胸を撫でおろした。ジェネレーションの荒波がそこまで及んでいたら私のような昭和の人間はコミュニケーションの取り方すら限定されてしまうと戦々恐々としていたのである。
小林君はフォローするかのように言葉を加えた。
「あの話題はちょっと極端過ぎますよね。もちろん“ペンケース”とか“靴箱”とかも言いますけど、今ってアニメとか漫画とか小説とか、昔の作品を自由に観たり読んだり出来るじゃないですか。そうすると昔の表現とかも普通に出てきますし、会話で先輩たちとかとも話すのでそういう言葉って自然と体に浸み込んでるっていうか。実際に下駄とかを使ったことが無くても言葉として使われていくっていうのはこれからもあると思うんですよね」
小林君は一定のペースで語り切った。私は正直、案外しっかり考えているんだなと感心した。あっさり「使わないですね」で済まされるのかと思っていたが。
小林君はそこでコップの水を一口飲むと、特に私に促されることなく、さらに持論を展開していった。
「むしろその流れで、“今どきの若い子はマッチの使い方を知らない”っていうのもありましたけど、そちらのほうは十分納得できます。マッチという存在は先ほどの通り情報として知っていたとしても、マッチの使い方という行動を伴うものは実際にやってみないと分からないじゃないですか。だから“○○というものは知ってます。でも使い方は分かりません”っていうのはこれからもどんどん出て来ると思いますね」
小林君はそこまで言うと、また一口水を飲んだ。
全くその通りである、と私は思わず納得してしまった。しっかりした考えである。
「確かに、それは筋が通った考え方だ。それでは、そう言った現象も我々昭和の人間たちも悲観することはないと?」
私はまるで偉い学者先生にインタビューするインタビュアーの気になっていた。
「そうですね。きっと先輩も、自分たちの世代よりも古いものを使わなくなっていったと思いますし、それが今自分たちのものが使われなくなってきたと言っているだけで、その順番は次は僕たちの番になってくるだけですよ。ただの話題作りの記事に過ぎませんよ」
よほど私よりも達観している… と、私は感嘆してしまった。
「なるほど、確かにおっしゃる通り。そのような記事に踊らされる必要ないということだな」
「はい。というか、踊らされていたんですか? 先輩は」
「いやいや。しかしショックを受けていたことは確かだな。もう若い子とどんな言葉で会話すればいいのか? と」
「そうだったんですね。いろいろ大変ですね、先輩も」
「いろいろ悩みも多いよ」
「安心してください。僕はそこまで“今どきの若いもん”でもないので」
「ハハハ、ありがとう」
結果的に私が慰められてしまう形になってしまったが、何となく心が軽くなったことは否めない。今日はなかなか面白い話が出来た。
そこに飲み物が届いた。私はアイスコーヒー、小林君はアイスカフェオレである。私はコーヒーにミルクを入れながら、「アイスコーヒーを“レイコー”と言っていたことは、小林君は知っているだろうか」と考えていた。
そのことを口に出そうとしたとき、小林君が口を開いた。
「そう言えば、洗濯バサミなんですけど…」
「洗濯バサミ?」
「もしかして、あれも使い方を知らない子供たちが今後出てくるのかなって思ったんです」
「洗濯バサミの使い方を知らない子供たち?」
「今や乾燥機が一般家庭にあることは不思議じゃないじゃないですか。いずれ一家に一台の時代が当たり前になったら、洗濯物を干すという行為が無くなる。そうしたら、洗濯バサミを使わなくなる。そうなれば、生まれてこのかた洗濯バサミを見たことないって子供もあり得るんじゃないかって思たんですよ」
私は思わず目を見開いた。それは何と恐ろしい時代だろう。先ほど小林君からフォローされたばかりで、フッと心が軽くなった気がしていたが、私の心はまたざわついてしまった。洗濯バサミを知らない子供たち… その世界で私は果たして生きていけるのだろうか?
やはり、私は現代という恐ろしい時代に戦々恐々とせずにはいられなかったのである。