散文32『虹』
「おはよう、ハトソン君」
「おはようございます」
「今日はいい日だな」
「そうですか? まだ小雨混じりですけど」
ハトソン君が視線を送る窓の外は太陽の明かりは差しているものの、確かに小雨が降っていた。
「それがいいんじゃないか」
「はぁ」
要領を得ないといった表情のハトソン君を横目に、私は席に着いた。
「実は今日、虹を見たのだよ」
「あぁ、そういうことですか」
この辺りはさすが察しが良い。
「それなら、今日みたいな天気の日は虹が出やすいでしょうね」
「そうだな。しかし、こんな天気でも虹を見ると幸せな気分になるというか、虹は神様からの贈り物だな」
などというメルヘンチックな発言をしてしまったが、あながち冗談で言ったわけではない。文字通り、今日のような空模様はどうにも気分が晴れない。そんな人間たちに、神様が少しばかりの希望を見せてくれているのかも知れない。雨だからこそ見える虹というのも乙な話である。
「そうですね。虹の麓には宝物が埋まっているという話もありますし」
ハトソン君は以外にも話に乗ってきた。
「私もその話は聞いたことがある。どこかの国の神話だったかな」
「えぇ、確か」
「虹の麓か、一度は見てみたいな。もし見つけたら宝物も期待してしまう」
「でもどうなんでしょう。虹の原理からすると、虹の麓に辿り着いたとしても当の本人にはすでに虹が見えないわけで…」
ハトソン君はそこで顎に手を当て、考え込んだ。
「虹が見えないとは?」
「…え、あぁ。すみません。いえ、虹は水のスクリーンに太陽光が当たって、その反射が見えているわけで。スクリーンの足元に辿り着いたら反射が見えないわけじゃないですか」
「なるほど、確かに」
私は腕を組んで考えた。宝があると近づいても、辿り着いた頃には虹が見えない。離れているからこそ虹は見える。もしかしたら昔の人は近づいて触れることが出来ない虹に神秘を感じ、その麓に宝という名の希望を込めたのかも知れないな。
「でも見えないからこそ、そこに宝があると期待してしまうんじゃないかな。夢があっていいじゃないか」
私は腕を解いて仕事の支度を始めた。
「夢ですか。確かにそうですね。この問題は、解かないほうがいい問題ってやつですね」
「ほう、今日は素直だな」
「私だって、血の通った人間ですから」
「いやいや、そこまで言ってはいないが」
相変わらずハトソン君の思考の飛躍には驚かされる。
「ところで、“夢”で思い出したのですが」
「何だい?」
「センパイの“夢”の進捗はどうなんですか?」
「夢の進捗?」
あぁ、前にそんな話をしたな。夢の進捗か…
「まぁ、良くも悪くも滞りなく進んでいるよ」
「そうですか」
私の言葉の意味をハトソン君がどう捉えたかは、彼女の表情から読み取ることが出来なかった。彼女はそう言ったきり、次の言葉は発しなかった。
そういえば、私は生き返ろうとしている身なのであった。果たして生き返ったのだろうか。はたまた、まだその途中なのだろうか。
分からない。いずれにしても私はまだ渦中にいて、言った通りそれは今のところ滞りなく進んでいる。良いか悪いかはまだ分からない。ただ、まだこの手を止めてはならないことは分かる。
「気にかけてくれてありがとう」
そう言うと、ハトソン君は咳ばらいを一つだけした。