夜がな夜っぴて考え事…

趣味で自由に小説書いてます

連作短編「散文」(完結)

散文52『52ヘルツの鯨』

52ヘルツで鳴く鯨がいる。その声は他の鯨に比べて遥かに高い周波数らしい。声の記録は1980年代からあるが、その姿はまだ確認されていない。分かっていることは、その周波数で鳴く鯨は世界で一個体しかいないということである。それ故に、その鯨は『世界で最…

散文51『独白』

私は人知れず、ブログで『散文』というタイトルの短編小説を書き綴ってきた。始めたのは去年の三月からである。一時的な休憩は挟んだものの、この一年間ほぼ毎週、コンスタントに書き続けられたことは私にとって良い経験となった。私の周りで起きた出来事を…

散文50『報告』

「センパイ。一つ、大事な報告が」 打ち合わせの帰り道、ハトソン君から掛けられた声に、私の体はピクリと反応してしまった。 「ほう、何だい?」 「実は、すでに課長には話してあるのですが…」 恐らく先日の課長との話も、その内容の件だったのだろう。 「…

散文49『バレンタイン』

出社して早々、ハトソン君は課長に声を掛けられ、打ち合わせ用の小部屋に入っていった。課長の声の掛け方から察するに、課長から用があるというよりも、ハトソン君が事前にアポを取っていた風であった。はて、何だろう? 仕事でミスがあったわけではないし、…

散文48『出来る男の第一歩』

ハトソン君は、仕事中にコーヒー、もしくは緑茶を飲む。普段は始業前や休憩時間に、給湯室でインスタントのものを淹れて飲んでいることが多いが、今日はちょっと違った。今日は机の上にマグボトルが置いてあったのである。 「今日は自宅から持ってきたのかい…

散文47『節分』

今年の節分は二月二日である。例年では二月三日が節分とされているが、二月二日が節分となるのは124年ぶりらしい。幼い頃は、節分で豆撒きすることを楽しみにしていたものである。 「豆撒きなんて、久しくやっていないな」 「そうですね。結婚して子供でもい…

散文46『魔女の笑顔』

私は『BAR SATIE』の前に立っていた。去年の十一月に来たっきり、約二か月ぶりである。本当はその間にも何度も来ようと思ったのだが、あの一件以来、もしかしてあの人が居るかも知れないと思うと、どうにも足が向かなかった。 今日はようやく店の前までやっ…

散文45『雪』

会社の最寄り駅の改札を出ると、白い粒がゆらゆらと宙を舞っていた。 「雪か…」 今日は朝から冷え込んでいた。私はポケットから手を出し、手のひらに雪を乗せてみようと試みた。しかし、ポケットの中で温められていた手の温度で、雪はあっという間に解けてな…

散文44『決断』

人は一日におよそ35000回の決断をしている、という話を耳にした。信憑性は確認しようがないとして、確かに無意識のうちに人間は様々な決断をして一日を過ごしているのかも知れない。 「私もその話は聞いたことがあります」 さすがハトソン君。この手の情報は…

散文43『正月感』

私は一月一日、二日とずっと家の中で過ごしていた。一日に松原先生へ年賀状の返事を書くためにハガキを買いに行き、投函してきた以外は家から一歩も出ていない。家の中でもなんやかんや作業をしていたものの、やはり外の空気を吸わないと何となく息が詰まっ…

散文42『年賀状』

今年も無事に年が明け、新しい一年が始まった。 今年は丑年である。十二支に何故ネズミや牛、虎といった動物たちが選ばれたかという理由については、有名な物語がある。 神様がその年を代表する動物を選ぶ際に、元日の朝に一番目から十二番目までに来た動物…

散文41『願い事』

クリスマスなんて無くなってしまえばいいのに。そう思っていた頃ももうだいぶ前のことである。若い頃はクリスマスに一人でいることが寂しいと思っていたが、今では何も感じなくなってしまった。感じなくなったというか、感情をコントロール出来るようになっ…

散文40『名前の由来』

一時期はキラキラネームなるものが流行ったりもしたが、今ではそれも下火になりつつあるように思われる。それに代わって今人気なのが古風な名前のようだ。巷では“しわしわネーム”とも呼ばれているようだが、昨今の人気アニメの影響もあって、そのような名前…

散文39『サンキュー環!』

『喫茶ネロ』のマスターの古希祝いから数日後、環くんから連絡が来た。結論から言うと、環くんが正式に『喫茶ネロ』を引き継ぐことが決まったらしい。マスター、奥さん、環くん、そして魔女の四人で話し合ったそうだ。その話し合いに魔女が参加したのには驚…

散文38『マスターの古希祝い(2/2)』

会も終盤に差し掛かり、マスターから改めて挨拶を頂く場面になった。マスターは奥さんに促されて一歩前に出た。 「えー、今日は本当にありがとう。環も、ありがとう」 マスターが環くんに視線を向けると、環くんは静かに頭を下げた。周りからは自然と拍手が…

散文37『マスターの古希祝い(1/2)』

今日は『喫茶ネロ』に招かれた。というのも、環くんが指揮を取って、マスターの古希祝いをやろうということになっていたからだ。環くんからのお誘いを貰っていた私は二つ返事で参加させてもらうことにした。日頃からお世話になっている私としても、声を掛け…

散文36『勝手な趣味』

「というわけで話の続きが気になって、その後バイト終わりの環くんから別の店でさらに詳しく話を聞いたんだ」 「なるほど、それで話の続きは?」 お茶を啜りながら話を聞いているのはもちろんハトソン君である。 私たちは打ち合わせの帰り道、遅めの昼食を取…

散文35『親子喧嘩』

今日は11月22日。言わずと知れた“いい夫婦の日”である。私の身近な“いい夫婦”と言えば、やはり『喫茶ネロ』のマスター夫婦だろう。彼らには夫婦円満の秘訣を是非伺いたいものである。 というわけではないが、今日も私は『喫茶ネロ』に来ていた。 「しかし、…

散文34『BAR SATIE』

夜更かしはしない、と心に決めたものの、ついつい夜の街を彷徨ってしまうのはストレス社会を生きる戦士(サラリーマン)の性なのかも知れない。 私は残業終わりに渡瀬と飲んだ後、別れて一人駅前をふらついていた。今から素直に帰れば十分な睡眠時間は取れる…

散文33『奇遇』

休日、『喫茶ネロ』に向かおうと自転車を漕いでいると、前方に見覚えのある後ろ姿を見つけた。 ロングスカートにジャケットを羽織っているその人は普段の出で立ちとは異なっていたが、発している雰囲気から誰であるかは察することが出来た。 「も、もしや…」…

散文32『虹』

「おはよう、ハトソン君」 「おはようございます」 「今日はいい日だな」 「そうですか? まだ小雨混じりですけど」 ハトソン君が視線を送る窓の外は太陽の明かりは差しているものの、確かに小雨が降っていた。 「それがいいんじゃないか」 「はぁ」 要領を…

散文31『行きつけの店(仮)』

無事(?)健康診断を終えた週末、私は仕事の帰りにどこかで一杯飲んで帰ろうと考えていた。 決して緊張が緩んだわけではない。もちろんこれからも食事に運動に気を使って生活していく所存だが、時には息抜きというものも必要である。ストレスが原因で体調を…

散文30『睡眠不足』

今日は久々に仕事でミスをしてしまった。今回は大した事ではなかったが、場合によっては一つのミスで大損害を出し兼ねない。気を引き締めなければ。 「いやぁ、さっきはフォロー助かったよ」 「いえ、大したことないっすよ。あれくらい」 私はお礼とばかりに…

散文29『魔法のケーキ』

先週話していた通り、週が明けハトソン君がケーキを買ってきた。仕方がない、ダイエットは明日から… などと定型文を頭の中で唱えながら、私はお昼の時間にそのケーキをご馳走になることにした。 昼飯を食べ終えたタイミングで、「こちらです」と言ってハトソ…

散文28『健康』

我が社では秋になると健康診断がある。その頃になると、周囲ではちらほらと健康の話題が上がってくる。半分くらいはやれ煙草で肺が真っ黒だとか、やれ飲み過ぎで肝臓の調子が悪いだとか、武勇伝的に語っている不健康自慢なのだが、それでもみんな何となく周…

散文27『積ん読』

つい先日、秋分の日を迎えた。気付けば朝晩はだいぶ涼しくなってきたし、陽が落ちるのも早くなったものだ。 そんな秋の夜長には本を読みたくなってくるものだ。お盆から湧いていた読書欲はまだかろうじて残っていたが、如何せん夜は夜で眠くなる。読みたい衝…

散文26『ランニング』

先日足がつった。これは完全に運動不足である。確かに、思い出そうとしてもいつ運動らしい運動をしたか思い出せない。久しぶりに思い立って、私は下駄箱の奥から昔使っていたランニングシューズを引っ張り出してきた。 さてどこを走ろうかと思ったときに頭に…

散文25『WIN-WIN』

あのあと…とは楽器屋で佐久間さんと会った日のことだが、我々は簡単な雑談をして、私のほうが先に店を出た。私の心の中では、楽器購入に関しては無期限の検討期間に入った。佐久間さんには申し訳ないが、まず楽器の難しさに私の心が折れてしまったのが大きい…

散文24『偶然の再々会』

私は再び楽器屋の前に立ってた。目的はもちろん、楽器の購入検討を進めるべく、である。 とはいえ、まずは楽器に触れてみないことには分からない。前回店に来た際に、メガネ屋の店員こと佐久間さんが教えてくれた、試奏とやらを試してみようじゃないか。試奏…

散文23『本屋』

仕事の休憩中、久しぶりに買った小説を読んでいるとハトソン君が声を掛けてきた。 「センパイ、何を読んでるんですか?」 「あぁ、これか。この前、本屋に行ってジャケ買いしてしまったんだ」 そう言って私は読んでいたページに栞を挿み、本を閉じた。 「こ…