散文36『勝手な趣味』
「というわけで話の続きが気になって、その後バイト終わりの環くんから別の店でさらに詳しく話を聞いたんだ」
「なるほど、それで話の続きは?」
お茶を啜りながら話を聞いているのはもちろんハトソン君である。
私たちは打ち合わせの帰り道、遅めの昼食を取るため定食屋に寄っていた。遅めと言ってもまだまだ店の中は混んでいる。注文を終えた私は料理が出てくるまで時間が掛かるだろうと踏み、先日聞いた『喫茶ネロ』の親子喧嘩の件をハトソン君に話していた。
「環くんが受けた印象としては、お互い絶対的に敵対しているわけではないのではないか、ということだ」
「それはなぜですか?」
「感覚的な話だからあくまで憶測の域は出ないが、オーレンのケーキをネロで出す話を娘さんにした時も、悩んだ様子はあったものの後日了解を得られたというし、その話をマスターに持ち掛けた時も、『勝手にしろ』と言われながらも結果ケーキセットをメニューに加えることになった。環くんとしてはもう少し難儀するかと考えていたらしいんだが、すんなり話は通ったそうだ」
「なるほど、確かに本当に嫌いだったらどちらか一方でも『絶対NO!』を出しそうですもんね」
「そうだろう。私も話を聞く限りでは、二人は本当に仲が悪いわけではなく、単にお互いが頑固で不器用なだけのような気がするんだ。マスターは何となく職人気質って感じがするし、娘さんも結構サバサバした感じだったし、二人とも素直になれないだけじゃないかと」
「似たもの同士ってことですね」
「とは言っても、娘さんともちょっと言葉を交わしただけだったがな。そうそう、これが…」
そこで私はカードケースから、先日貰った名刺をテーブルの上に出した。
「 オーナー、黒部美奈子」
ハトソン君は名刺をまじまじと見ながらそう呟いた。
「なるほど、黒部さん。だから『ネロ』なんですね」
「へ?」
「『ネロ』っていうのはイタリア語で『黒』っていう意味なんですよ」
「へぇ、よく知ってるな」
「前にちょっと気になって調べてみたんです。店の名前の由来とか、勝手に調べるの好きなので」
相変わらず変わったことに興味を持っているものである。
ハトソン君は湯呑を大事なものを持つように両手で包み、ゆっくりと口元に運んでズズっと一口啜った。そしてそのまま湯呑の縁を咥えながら考え込んだ。
「どうした?」
私は名刺をケースに仕舞いながらハトソン君に声を掛けた。
「…私、小さい頃から推理ものとか謎解きとか好きで、勝手に日常の中でも推理を巡らせて楽しんでるんです。店名を調べたくなるのもその延長なんですけど」
はて、ハトソン君は急に何の話をしているのだろう。私は純粋にそう思った。
「いつもは大体、大したオチもなく結果に辿り着いたり、単なる私の妄想で終わっちゃうんですけど…今回は何だか面白そうですね」
そう言ったハトソン君の瞳はキラキラ輝いているように見えた。
「いやいや、環くんも困ってるんだから、面白がっちゃダメだろう」
「あ、これは失礼しました。あくまで私の勝手な趣味みたいなもので」
「表立って面白がるのはいい趣味とは言えないぞ」
「改めます」
ハトソン君は畏まって頭を下げた。
「まぁ、それはいいんだが。私と環くんの考えとしては、ちょっとしたキッカケで解決するんではないかと思っているんだが… まぁ喧嘩の原因が分からないから何とも言えないがな」
「そうですね、そこが分からないと何も出来ません」
「そうなんだ。かと言って、本人たちに聞くのも野暮だしなぁ」
私は天を仰いだ。するとちょうどそこへ、注文していた料理が運ばれてきた。私は姿勢を正し、湯呑をテーブルの脇に寄せた。ハトソン君はというと、また考えごとをしているのか、店員さんが湯呑を避けるのも気にせず、ぼんやりとテーブルを見ている。
料理が並べ終えると、ハトソン君はハッと顔を上げた。
「そういえばセンパイは以前、オーレンのケーキはコーヒーに合うように魔法を掛けてあるって言ってましたよね」
「あぁ、比喩表現としてな」
「案外、本当に魔女はケーキに魔法を掛けていたのかも知れません」
「ん、どういうことだ?」
「いえ、これもまた憶測の域を出ないので明言は避けさせていただきます」
そう言うとハトソン君は割り箸を手に取り、パキッと割った。
「それでは、いただきます」
「あ、あぁ。どうぞ」
ハトソン君は丁寧に手を合わせ、早速料理に手を伸ばした。
私はハトソン君の言葉の意味が気になったが、ハトソン君の意識はすでに料理に向かってしまい、話が途切れてしまった。仕方がない。話の続きは食後にするとしよう。
気付けば腹もだいぶ空いていた。まぁ、考えても答えが簡単に出るものでもない。ともあれまずは腹ごしらえをしよう。
私も、出てきた品が冷めぬうちにと、一先ず料理に箸を付けることにした。