散文29『魔法のケーキ』
先週話していた通り、週が明けハトソン君がケーキを買ってきた。仕方がない、ダイエットは明日から… などと定型文を頭の中で唱えながら、私はお昼の時間にそのケーキをご馳走になることにした。
昼飯を食べ終えたタイミングで、「こちらです」と言ってハトソン君が給湯室の冷蔵庫から持ってきたのは、なんと『オーレン』のロゴが入った箱である。
「オーレンのケーキじゃないか」
「あれ、センパイもご存じでしたか」
「あぁ。一度だけ店に行ったことがある」ミルフィーユの練習をするために、とは言わないでおこう。
「まさかセンパイが知っていたとは予想外です」
「まぁな。たまたまネットで見つけたんだよ。家の近くだったから試しに行ってみたんだ」
「そうでしたか」と言いながら、ハトソン君はケーキの箱を開けた。箱の中にはカップケーキが敷き詰められてあった。
「皆さんにもと思って」
ハトソン君は立ち上がり、外に出ずに残っていた同僚たちにカップケーキを配った。
所々で歓声が上がったと思っていたら、ほどなくしてハトソン君が箱を抱えて戻ってきた。
「ちょうど二個余りました。ギリギリでしたね」
「こういう日に限って人数が多いものだな」
「そうですね」
ハトソン君は残った二つを箱から取り出し、自分の机と私の机の上に置いた。
目の前に置かれたのはとても美味しそうなカップケーキである。評判通り、物語の中から出てきたような見栄えのケーキである。目で見ても楽しめる、魔女特製のカップケーキ。
「ほぉ、これは美味しそうだ。カップケーキはこの前買ってなかったからな」
ハトソン君は箱を丁寧に畳むと、ケーキの前で手を合わせて二度目の“いただきます”をした。
「随分と仰々しいな」
「美味しいものを頂くときの礼儀です」
「確かに」
私もハトソン君と同じようにケーキに向かって手を合わせた。
さて、『オーレン』のカップケーキはいかがなものか。私はカップの部分を半分ほど剥がし、大きく一口噛みついた。ケーキを口に含み、鼻から抜ける香りはなんとも甘美なものである。残念ながら前回店に行ったときは魔女とは対面できなかったが、こんな美味いケーキを作る魔女である。見た目も艶やかな美しい魔女に違いない。そんなことを想像しながら、私は思わず目を瞑っていた。
ふと隣を見ると、ハトソン君も静かにケーキを頬張っていた。その表情はとても幸せそうである。この時ばかりはまだまだ若い女性の顔つきだ。
「美味いな」
「はい」
ケーキを含んだまましゃべったため、二人とも言葉が籠ってしまった。
幸せな時間はあっという間だった。もう一個食べたいと思ってしまったが、ケーキはもうすでにない。しかしそれでちょうどよかった。もしまだ残っていたら手が止まらなくなってしまう。
「ごちそうさまでした」と再び手を合わせるハトソン君に倣って私も手を合わせた。
「そういえば、環くんがバイトしている喫茶店でも『オーレン』のケーキを取り扱っていたな」
「そうなんですか」
「二人とも食の相性が合いそうだな」
「ここのケーキなら誰でも合いますよ」
おじさんのお節介はさらりとかわされた。
「しかし、『オーレン』のケーキは美味いな。本当に魔女が作ってるんじゃないか?」
「魔女、ですか?」
「あぁ、ネットでそういう噂があってな。魔法がかかっているんじゃないかってくらい美味いって」
「なるほど、そういう噂も立っちゃいますね」
「カップケーキは、これはこれで美味かったが、『ネロ』で出してるケーキも美味いんだ。コーヒーとケーキセットで出しているんだが、これがまた『ネロ』のコーヒーに合う! もしかしてコーヒーに合うように魔法をかけてるんじゃないか?」
「それは興味深いですね」
「ハトソン君も一度頼んでみるといい。ちなみに環くんは土日なら午後からのシフトで入っているからな」
「そうですね、今度是非」
またもやさらりとかわされる。しかし私はくじけないぞ。引き続き、環くんとハトソン君を温かく見守っていこう。
いっそのこと、二人を結び付けるような魔法がかかったケーキを作ってくれないものか、『オーレン』の魔女よ。と、そんなことを妄想してしまうのはドラマやアニメの見過ぎであろうか。
そんなことは露知らず、ハトソン君は畳んだ箱を捨てに、すでに席を立っていた。