夜がな夜っぴて考え事…

趣味で自由に小説書いてます

散文20『木漏れ日と陽炎②』

 昨日はあの後、図書館に戻り本を探してみたが結局見つからなかった。私が探している本は児童書の、シリーズ物の一冊であった。本の内容よりもどちらかと言うと挿絵のほうが記憶に残っていて、おぼろげな記憶を頼りに、図書館に置いてあったシリーズ全てをパラパラとめくってみたが、どれもしっくりくるものは無かった。シリーズ自体は間違いないはずである。全巻揃ってはいなかったので、もしかしたら私が探している巻があの図書館には無いのかも知れない。もしかしたら私の記憶が曖昧で、実は手に取った中に目当ての本があったのかも知れない。とはいえ、全て中身を読んで確認する時間は無く、当てずっぽうで借りていくわけにもいかなかったので、私は成果の無いまま図書館を後にしたのだった。

 それよりも、私にはさらに気になることが出来てしまった。図書館の前で感じたあの香りと、直前に見かけたあの女性のことである。

 図書館を出てから、ずっとそのことについて考えている。あの香りとあの女性は、私の記憶の中に確実に存在している。考えれば考えるほど、そう感じるのだ。

 そして私は、あることを思い出した。

 

 時代性や地域性はあるかも知れないが、当時私が通っていた小学校では、五年生になると朝の30分間、強制的にみんなで読書をしようという時間が設けられていた。それぞれ好きな本を持ってきて、読書をする時間。中にはヒソヒソと会話をしている生徒や、ふざけて漫画を持ってきて先生に取り上げられている生徒もいた。一応漫画や雑誌類はダメということになっていたのだ。

 そんな中、私はまじめに学校の図書館で借りてきた本を黙々と読んでいた記憶がある。最初に読み始めたのが何の本だったか、何故その本を読もうと思ったかは覚えていないが、その時間がキッカケで、本を読むようになったことは覚えている。読書の時間は、それまで休み時間は真っ先に校庭に出てサッカーやら野球やら、体を動かす遊びがほとんどだった私に、本の世界の楽しさを教えてくれた。そしてその頃から、自分でも物語を書いてみたいと思うようになったのである。

 六年生になろうとしていた春休み、私はとある本に出会った。その本というのが、昨日も探していたシリーズの一冊である。そのシリーズの主人公は当時の私と同じ小学校六年生であった。そのことも感情移入しやすいポイントの一つであったと思うが、他にも、その主人公が巻き込まれる事件やそれを解決しようと奮闘するストーリー、同級生たちとの友情、そして迫りくる卒業。それらの一つ一つが私の心をワクワクさせ、心を掴んで離さなかったのである。

 私はそのシリーズを春休みから少しずつ読み始め、夏休みの頃には56冊は読み終えていた。恐らくテンションが高くなっていたのであろう。今考えればだいぶ恥ずかしいことをしていたと、顔を覆いたくなるが、表現欲が溢れ出ていた私は、自分のノートに書き留めることでは足らず、一学期の中頃から、テストの裏にまで書き出すようになったのである。それは短い詩のようなものから、時間があれば簡単な物語性のあるワンシーンのようなものまで。当時の私は、自分で言うのも恐縮だがそこそこ勉強が出来、テスト時間の半分は大体持て余していた。そこに書きたい欲求が重なり、そのような行動を取っていたのだが、今考えれば、もし誰かに見られたらとか、そういったリスクは考えていなかったのかと、過去の自分を注意したくなる。

 そして、あれは小学校六年生の二学期のことだった。

もともとは誰に見せるわけでもなく、ただ時間潰しで書いていたもので、先生たちもテストの裏まで見ていなかったのだろう。(もしくは見て見ぬふりをしていたのかも知れないが…) 誰もテストの裏のことなどに気付いていた人はいなかった。

そんな日常に変化が訪れたのは、六年生の9月頃だった。元々の担任の先生が、病気で入院することになったのである。病気自体は命に関わるようなものではなく、入院も34か月くらいの間で、年明けには戻ってこられるとのことだった。その間に、私のクラスを臨時で担当することになったのが、松原先生であった。

 松原先生は若い女性の先生だった。それまで私の学年と松原先生との接点はほとんど無かったが、先生はとても穏やかな人で、学校の中でも若いほうだったのですぐにクラスのみんなは先生に懐いていた。担任の先生の入院と、間もなく卒業を迎えるデリケートな私たちにとって、松原先生は年の離れた頼れるお姉ちゃんのような存在だったのかも知れない。

 ある時、返却されたテスト用紙を裏返してみると、私の書いた詩に赤ペンで「すばらしい!」というコメントが添えられていた。それは松原先生からのコメントであった。そのコメントを見た時、すごく驚いたと同時に、嬉しさを感じたのを覚えている。それまで誰に向けてでもなく、ただ自分が書きたいことを書いてだけだったが、その先生のコメントによって、誰かに読まれる喜びを感じ、その時から、自己満足ではなく誰かに読んでもらうことを意識しながら書く楽しさを知ったのである。

 二学期の間、私はテストがあるたびに用紙の裏に言葉を綴った。先生はその度に、丁寧にコメントをくれた。先生は特に日常の中でそれについて、私に話し掛けてくることは無かった。私も何となく恥ずかしさもあり、そのことについて直接先生に話し掛けたりはしなかった。私と先生との二人だけの秘密のようで、その秘密を守るのがまた楽しくもあった。

 しかし、ほどなくして先生との別れは突然訪れた。冬休みが明け、担任の先生が復帰すると同時に、松原先生は学校を去ってしまったのである。聞いたところによると、先生の母親が病気で、実家に帰らなければならなくなったとのことだった。

 今回の出来事は、あの頃の思い出と無縁ではないような気がしていた。

 

 今日は休館日ということだったので、私はもう一度明日、図書館に行ってみることにした。あそこに行けば、またあの女性に会えるかも知れない。会って、話がしたい。

 それはほとんど祈るような思いであった。