夜がな夜っぴて考え事…

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散文37『マスターの古希祝い(1/2)』

 今日は『喫茶ネロ』に招かれた。というのも、環くんが指揮を取って、マスターの古希祝いをやろうということになっていたからだ。環くんからのお誘いを貰っていた私は二つ返事で参加させてもらうことにした。日頃からお世話になっている私としても、声を掛けてもらい光栄である。

 指定された時間は日曜日の昼の十二時。店は本来営業日であったが、マスター本人の了解も得て、今日は特別貸し切りにしたらしい。

 店に着くと、もうすでに十数人が集まっていた。マスターと仲のいい年配の常連や、いつも見かけるマダムたち。大体は私も顔ぐらいは知っている面々が、それぞれグループで固まって談笑していた。その中に、一人の女性が壁にもたれて立っていた。グレーのタートルネックにベージュのトレンチコートを羽織っているその女性は店内で一人だけサングラスを掛けており、ひと際異彩を放っていた。明らかに魔女である。目元は隠れて分からないが、雰囲気は以前『BAR SATIE』であったその人と同じものを感じた。私はその女性と距離を保ちつつ、店内の空いているスペースに移動した。

 店内のテーブル席の椅子は壁際に寄せられていて、そこにカバンやコートが置かれている。テーブルだけが独立しており、その上におしぼりや皿がすでに置いてあった。今日は簡単な軽食を用意しての立食形式で行うとのことだったが、カウンターの中では環くんが料理の準備でせわしなく動いていた。恐らく私が店に入ったのにも気づいていない様子だ。無理に声を掛けて環くんの手を止めても申し訳ないので、私はとりあえず壁際の空いているイスに腰を下ろした。

 特に話をするような相手もいない私は、手持ち無沙汰に店内を見渡していた。すると、私は視界の隅で、こちらに近づいてくる人の動きを捉えた。私がそちらに視線を向けるのと、その人物が誰であるかを理解したのはほぼ同時である。まさに私の前で歩を止めたのは、先ほどまで壁にもたれていたあの女性である。

「よっ」

 サングラスを外しながら私に声を掛けてきた彼女は、やはり魔女だった。声のトーンは思いのほか明るかった。親子喧嘩をしてるという前情報から、そもそも今日この場にいることに少々驚いていたが、見た感じの機嫌はそこまで悪くなさそうである。私は魔女を見上げる形で返事をした。

「どうも、先日は」

「隣、いい?」

「えぇ、どうぞ」と、返事をする間もなく、魔女は私の隣に腰を下ろした。

 どうぞ、とは言ったものの、いざ魔女が隣に座ると何を話していいか分からない。そもそもそんなに話したことが無いし、変な親子事情を知ってしまっているがために、軽率なことも言えまい。そんなこんなで色々なことを頭の中で考えていると、最初に魔女のほうから口を開いた。

「タマキン、よくやるよなぁ」

「タマキン?!」

 思わずそう返すと、魔女はカウンターのほうを顎で指した。

「あぁ、環くんですか。そうですね、よくやってると思います」

「人が良いというか、なんというか」

「そうですね」

 なんとなく会話が繋がっていることに緊張感を抱きながらも、私は一言一言に注意を払った。

「そういえば、黒部さんってネロのマスターの娘さんだったんですね」

「あぁ、タマキンから聞いた?」

 タマキンという呼び名にまだ慣れないが彼女にとってはそれが呼び易いのか…

「えぇ。この前、環君に聞いて」

「驚いた?」

「えぇ、まぁ。この店は前から利用させてもらってたので」

「確かに。いつも通ってる店の店主と、とあるバーで会った得体の知れない女が親子だったら驚くよね」

 本当にその通りである。魔女はフフッと笑いながら足を組んだ。

 その後は、彼女から言葉を発することなく、私からも特に話すことは無かった。時々彼女の横顔をチラリと見たが、私などまるでいないかのように彼女の視線は一点を見つめていた。もちろんその先にはマスターがいた。

 

 準備が整い、マスターの古希祝いの会は環くんの乾杯の音頭から始まった。会は終始和やかに進んだ。基本的には各々が自由に集まり、合間を見て代わる代わるマスターに声を掛けていた。私も隙をみてマスターに挨拶をし、いつものお礼を述べさせてもらった。普段はあまり口数の多い方ではないが、今日はかなり饒舌だった。

 マスターと話す以外は、普段顔はよく見かけど話したことがなかった他の常連さんたちと初めて会話をさせてもらったり、私としても有意義な時間を過ごすことができた。途中、花束やプレゼントの贈呈、環くんがインタビュー形式で開店当初のエピソードや奥さんとの馴れ初めなどを聞いていくコーナーなど、時折笑い声も聞こえ、会場は良い雰囲気に包まれていた。