夜がな夜っぴて考え事…

趣味で自由に小説書いてます

散文35『親子喧嘩』

 今日は1122日。言わずと知れた“いい夫婦の日”である。私の身近な“いい夫婦”と言えば、やはり『喫茶ネロ』のマスター夫婦だろう。彼らには夫婦円満の秘訣を是非伺いたいものである。

 というわけではないが、今日も私は『喫茶ネロ』に来ていた。

「しかし、今日も何やら機嫌が悪そうだな」

「はい、ここしばらくあんな感じが続いてるんです。一応抑えているみたいなんですけど」

 元々マスターは寡黙な方だと思っていたが、周りから見て機嫌の悪さが窺えるというのは珍しい。

「何やら娘さんと喧嘩したとか」

 近くを通るたびにマスターの視線を掻い潜って、環くんがいろいろと教えてくれる。

「奥さんも、今回は長引きそうだって言ってました」

「親子喧嘩か」

 マスターの娘となると年齢的には40代後半くらいか。そう言えばこの店はマスターと奥さん(プラス環くん)で切り盛りしているようだが、娘さんは普通に会社勤めなのだろうか。

「前々から仲が悪いって聞いてて、僕も何とかしようと自分なりにいろいろ努力はしてみてるんですけど、かえって迷惑だったでしょうか?」

「いやいや、環くんの誠意は伝わっていると思うよ。あとは身内にしか分からない問題なんだろう」

 環くんは本当に心配そうな表情をしていた。私も、マスターのためにも、環くんのためにも一役買って出たいところだが、部外者が余計なことをして事態を悪化させては元も子もなくなってしまう。ここは静かに戦況を見守るしかないであろう。

「そういえば、再来週の日曜日にマスターの古希祝いをしようって話になってるんです。東雲さんも是非いかがですか?」

「おぉ、それはめでたいな。私も出席していいのかな?」

「はい、東雲さんも大事な常連さんですから」

「それはうれしいね。再来週の日曜日だな、分かった、空けておくよ」

「ありがとうございます」

 なんともめでたい。それならば尚更、今ある問題が解決してくれればいいのだが。

 

 客足も落ち着いたところで、私は隣の席を片付ける環くんに声を掛けた。

「ところで環くん」

「はい」

「マスターの娘さんは何をしている人なんだ?」

 私の声は確実に聞こえていたはずだが、少しの間があった。そして、マスターの動きを見計らい、環くんは小声で答えた。

「実はマスターの娘さん、オーレンのオーナーなんです」

 私は思わず口に含んだコーヒーを吹き出しそうになった。まるで漫画のようであるが、実際にその場面に出くわすとそうなってしまうらしい。私は慌ててコーヒーを飲み込んだ。

「まさか、魔女が」

「魔女?」

「いや、何でもない。しかし、娘さんがオーレンのオーナーだったとは…」

「あまりこの話は店の中でしたくなかったので黙っていたんですが」

「いや、賢明だろう。ということは、オーレンのケーキを取り扱っているというのは」

「僕が気を使って提案したんですけど、良くも悪くも効果はあまりなかったみたいです」

「なるほど、そういうことだったのか」

 なかなか環くんも思い切ったことをしたものだ。場合によっては、状況を悪化させてしまっていたかも知れない。

「でも僕の感覚的には…」と環くんが言いかけたところで、さすがに私たちがヒソヒソとやっているものだから、マスターからお呼びがかかった。

「環、カウンター終わったらそこの棚整理しといてくれ」

「はい!」

 環くんは元気に返事をして、素早くそちらの作業に向かってしまった。

 残念ながら話が途中で切れてしまったが、これは何やら複雑な模様。お節介と思われるかもしれないが、先日の魔女との出会いも偶然とは思えない。これは私としても放っておけない事態となった。私は残ったコーヒーをチビチビと飲みながら、カウンターの中のマスターを視線で追った。