夜がな夜っぴて考え事…

趣味で自由に小説書いてます

散文17『優しい人』

 今日は『喫茶ネロ』にやってきた。先日、環くんから相談を受けて以来の来店である。

「いらっしゃませ! あっ」

 私のほうは環くんがいるのを予想して来店したのだが、まさか彼のほうに、声と表情に出るほど反応があるとは思わなかった。

「やぁ」と声を掛けると、環くんは私のほうに近づいてきた。

「この間はどうも。いろいろ話を聞いてもらってありがとうございました」

「いやいや、大したことは。あの後、進展があったようで」

「はい、そうなんです」

 そう言って環くんは辺りを伺った。

「また少しお話したいことがあって。もう少しでバイトの時間も終わるので、お時間いただけますか?」

「あぁ、構わんよ」

 私もその時間を見計らって来たのである。

 私はいつものカウンターに席を取り、コーヒーを楽しみながら環くんを待った。

 

「お待たせしました」

 店の奥から出てきた環くんに促されて、私たちは先日と同じ窓際の席に移動した。

「まさか、東雲さんがすず先輩の上司とは思いませんでした」

 座るや否や、そう口にした環くんの表情は、以前に会った時よりも明るく見えた。

「そうだね。私とハト… 村くんも同じことを言ってたよ。まさか、ってね」

「今考えると、なんだかお恥ずかしい話です」

「いや、そんなことは無い。君にとっては重要なことだったんだから。それで、彼女から『立派な社会人』について説明を貰ったんだろう? 聞いたところだと、就職活動を休むとか」

「はい、教えてもらいました。その上で考えてみて、就職活動は一旦休憩することにしました。実は僕、やりたいことがあって」

「やりたいこと?」

「はい。将来、すぐっていうことではないんですけど、こういうお店をやってみたくて」

 そう言って、環くんは店内を見渡した。その瞳は、どことなくキラキラして見えた。

「喫茶店とか?」

「はい。この店でバイトするようになって、いろんなお客さんが来て、それぞれの時間を有意義に過ごせるような、こんな空間って素敵だなぁって思って。このお店は僕の憧れというか、目標になっちゃいました」

「いいじゃないか。もし環くんがお店を持ったら、ぜひ常連にさせてくれ」

「もちろんです。来ていただけるなら」

 照れるように笑う環くんの表情に、以前のような暗さは無かった。むしろ、今は希望に満ち溢れているように見える。きっと環くんが店を構えたら、人気が出ること間違いなしだろう。というのは少々親バカすぎるか。

「そういえば、東雲さんに聞きたいことがあったんですが…」

「おぉ、何だい」

「会社での、すず先輩はどうですか?」

「会社で?」

「いえ、聞いたからどうこうっていうわけではないんですけど、実際大学が同じだったとはいえ、もう一年以上前ですし。今はどんな感じなのかなぁって」

「そうだな。約一年半間、彼女と一緒に仕事をしているが、何を考えているか分からないというか、いや、むしろ裏表が無いと言ったらいいのか。物言いははっきりしていて、淡々と事実を述べるといった感じだ。その分、仕事は出来るよ。まぁ対人向きではないと思うがね」

「あぁ、対人向きじゃないって、それ分かります」

 環くんは肩を小さく揺らして笑った。

「学生時代の彼女のことは分からないが、入社してから特に変わりはないよ」

「そうですか。それならよかったです」

 環くんは優しい笑顔をしていた。それが何だか嬉しく感じた。

「ところで不躾なことを聞くんだが、環くんは鳩村君のどこを好きになったんだい? 彼女はなかなかクセのある人間だと思うが」

「そうですね。確かに取っ付きにくいというか、掴みづらいところもあるんですけど。やっぱり、優しいところですかね」

「優しいと」

「はい。誰にでも分け隔てなくて、素のままで、正直で、優しいんですよ」

 確かに、切り取り方が違うだけで、ハトソン君のいつもの言動も、彼女なりの優しさの表れなのかも知れないな。ただそれが、社会に評価されるかどうかは別にして。

「なるほど、言われてみればそうかもな。恐らく、彼女は学生時代から変わってないと思うよ。安心したまえ」

「はい」

 なんとも微笑ましい限りだ。やはり、二人の幸せを願わずにはいられまい。

「とりあえず、僕は僕なりに頑張ってみようと思います。すず先輩に心配かけなくてもいいように。それで、自分で納得出来たら、もう一度告白してみようと思います。それまで先輩が待ってくれてるか分かりませんが」

「それは大丈夫だろう。だって“人質”がいるんだから」

「え、でもあれは、僕の人質で…」

「まぁ、人生の先輩が言うんだから、そう信じてもいいだろう」

「…分かりました」

 環くんは腑に落ちない様子だったが、それもそうだろう。私だって、そう言っておきながら自身は無い。でも何となく大丈夫な気がする。それは年の功というものなのか。

 この若い二人は、どちらも優しい。その優しさが、二人を離すことは無いだろう。

 私は改めて、環くんとハトソン君を陰ながら見守ろうと、小さく頷いた。