夜がな夜っぴて考え事…

趣味で自由に小説書いてます

散文33『奇遇』

 休日、『喫茶ネロ』に向かおうと自転車を漕いでいると、前方に見覚えのある後ろ姿を見つけた。

 ロングスカートにジャケットを羽織っているその人は普段の出で立ちとは異なっていたが、発している雰囲気から誰であるかは察することが出来た。

「も、もしや…」

 私はブレーキをゆっくり掛けながら減速した。『喫茶ネロ』はもう目の前である。出来ればそのまま店の前を通り過ぎてくれないかと願ってみたが、願いも空しく、その人の足は店の前で止まった。それと同時に私も店の前に着いたのである。

 私の存在に気付き振り向いたその人物は、紛れもなく見慣れた顔だった。

「やぁ、ハトソン君。奇遇だねぇ」

「あ、センパイ。お疲れ様です」

 ハトソン君の表情はいつも通りだった。私は内心動揺していたが、表情にそれが出ないよう見繕っていた。もしかしたら彼女もそうなのかも知れないが、相変わらずのポーカーフェイスでそれを窺い知ることは出来そうにない。

「どうしてハトソン君がこんなところに? もしや環くんに会いに?」

「いえ、以前センパイにここのケーキセットが美味しいと教えていただいたので、来てみただけです」

 あまりにサラリと返すあたり、おそらくそれくらいの言い訳は懐に携えてきたのだろう。全く抜かりの無い後輩である。そして、案外可愛いところがあるではないか。

 私のほうは予想だにしていなかった事態に多少動揺したが、そんなことはどうでも良い。ハトソン君が居ようが居まいが私の目的地は変わりないのだから。それにそこまで悪い状況でもない。ただ環くんに対しては、まるで二人で示し合わせて来たかのようでバツが悪いが。

 私は自転車を店の前の駐輪スペースに止めて、先頭を切って入ろうと扉に手を掛けた。その時ハトソン君が「ネロ…」と後ろで呟いた。確かに扉には英字で『Nero』と表記してある。

「どうした?」

「いえ、何でも…」

と言いつつ首を傾げるハトソン君が少々気にはなったが、私はそのまま店の扉を開けた。

「いらっしゃいませ」

 第一声は環くんだった。

「やぁ」

「いつもありがとうございます。あっ」

 最後の「あっ」はハトソン君に向けられたのは明白である。

「たまたま店の前で会ったんだよ」と言うといかにも言い訳がましいが、事実そうなのだから仕方がない。

「そうだったんですか。奇遇でしたねぇ」

「全く」

 ハトソン君は特に言葉を発せず、私の斜め後ろをキープしたままだった。

「席はどうしますか?」

「そうだなぁ」

 さてどう座ろうか。バッタリ会ったとは言え、元々はそれぞれプライベートで来た身。私のほうからテーブル席を提案するのも悪い気がするが、かと言ってバラバラに座るのも何だか冷たいような気がする。

 一瞬そんなことを考えていたら、ハトソン君のほうから「私は一緒でも構いませんよ」と声が上がった。

「そうだな。せっかくだからそうしようか」と私はそれに便乗し、我々は窓際のテーブル席に通された。

 

 たまたまテーブル席がここしか開いていなかったということもあるが、まさか以前ハトソン君について環くんから相談を受けた席に当人と座ることになるとは、なかなか面白い状況である。とはいえ面白いと思っているのは私だけで、ハトソン君のほうは座るや否や、店内をキョロキョロと見渡し始めた。

「せっかくプライベートで来たのに、カウンターで一人ゆっくりしたほうが良かったんじゃないか」

「いえ、私は大丈夫です。ここに来たの初めてですし、センパイと一緒のほうがこのお店の勝手を聞けるので。私のほうこそ大丈夫でしたか?」

「構わんよ。これも何かのご縁というやつだ」

「ありがとうございます」

 そう言ってハトソン君はまたキョロキョロとし始めた。

「なかなかいい雰囲気だろう」

「はい」と、今度は私のほうを向くことなく返事をするハトソン君に、環くんが近づいてきた。

「どうしたんですか?」

「素敵なお店だなぁと思って」

「ありがとうございます」

 ハトソン君の挙動に笑みをこぼしながら、環くんはメニュー表と水の入ったグラスをテーブルの上に置いた。相変わらず店内を見渡すハトソン君に「ちょっと行動が怪しすぎるぞ」と注意すると、「あ、すみません」とハトソン君は前を向き直し、それを見て環くんがクスリと笑った。よくよく考えると、私がこのツーショットを見るのはこれが初めてではないか。しかもそれがこの席で見られるとは。そう考えると何だか感慨深くなった。

 微笑ましい眼差しで二人を見ていると、カウンターの中から「おーい!」と声が掛かった。それはマスターから環くんに向けられたものだった。その一言に何となく苛立ちのようなものが含まれている気がした。それを察してか、環くんは「マスター、今日はちょっと機嫌が悪いんですよ」とボソリと呟いた。その言葉が聞こえたのかどうかは分からないが、間を置かずにカウンターの中で大きな咳払いが聞こえた。それを聞いた環くんは慌てて「それじゃ、ご注文が決まりましたらお呼びください」と言って、そそくさとカウンターの中に入っていった。

「マスター、何かあったのかな?」

「まぁ、サービス業もいろいろとあるでしょうから」

「随分達観した言い方だな」

 どうやらさっきまでの落ち着かない様子から一変して、いつも通りのハトソン君に戻ったようだ。

「さて、それじゃあ何を頼もうか」

「そうですね。私は先日伺った、ここのコーヒーと合うように魔法を掛けられたケーキとのセットにします」

「それは間違いないな。私もそうしよう」

「ケーキはどれがお勧めですか?」

「そうだな。どれでも間違いないんだが、あとは好みの問題だな」

「それじゃあ、インスピレーションでチーズケーキにします」

「いい選択だ。私はそうだな、洋ナシのタルトにしよう」

「むむむ、それも良いですね…」

「どうする? セットプラス単品で頼むことも出来るが?」

 ハトソン君はメニュー表としばし睨めっこした。熟考の末、ハトソン君はチーズケーキを選んだ。まずは自分のインスピレーションに従うらしい。まぁどちらを選んでも間違いは無いのだが。

「洋ナシはまたの機会にします」

「フルーツ系は旬があるから、来るならすぐのほうがいいぞ」

「むむ、分かりました」

 ハトソン君は再びメニュー表を舐めるように覗き込んだ。

 注文を決めた私たちは、早速手を上げて環くんを呼んだ。