散文49『バレンタイン』
出社して早々、ハトソン君は課長に声を掛けられ、打ち合わせ用の小部屋に入っていった。課長の声の掛け方から察するに、課長から用があるというよりも、ハトソン君が事前にアポを取っていた風であった。はて、何だろう? 仕事でミスがあったわけではないし、特に何も聞いていないが…
しばらくして、ハトソン君が席に戻ってきた。
「何かあったのかい?」
ハトソン君は私を一瞥すると、手に持っていた手帳を机に置いた。
「いえ、特に何も」
「そうか」
と言いつつ、私は心の中で「そんなことは無いだろう」と思ったが、ここで理由を追求してもハトソン君は口を割らないだろう。私は深追いを避けた。
昼休みのチャイムが鳴り、私は仕事の手を止め、背中を大きく伸ばした。すると、ハトソン君が声を掛けてきた。
「そういえばセンパイ。美奈子さんからお届け物を預かってきたんです。今持ってきます」
そう言って立ち上がったハトソン君は、席を離れた。
“美奈子”という名前に最初はピンと来なかったが、戻ってきたハトソン君が手にしていた箱を見て、すぐに彼女の顔が浮かんだ。
「あぁ、魔女か」
「どうぞ。これ、センパイにって」
「ありがとう」
私はその箱を受け取って、机の上に置いた。
「バレンタインのプレゼントだそうです」
「あぁ、以前会った時に『新作を出す』って聞いていたんだ」
「そうでしたか」
「魔女から預かったって、ハトソン君と魔女はそんな仲になっていたのか?」
「いえ、そう親しくはありませんが、急に昨日呼び出されまして…」
「急に呼び出されたって… そんな要求を出すほうも出すほうだが、それに対応するハトソン君もすごいな。もはや親しい仲と言っていいと思うぞ」
「そうでしょうか」
キョトンとした表情をみて、案外ハトソン君と魔女は良いコンビかも知れないと思ってしまった。
「まぁ、二人のことだから私がとやかく言うことではないが… ところで、ハトソン君に断るのもアレだが、早速開けてみても良いかな?」
「はい、私が言うのもアレですが、どうぞ」
一応代理人の了解を得て、私は机の上に置いた箱を開けた。
「おぉ、これは」
箱の中には、光沢を纏ったオレンジ色のケーキ? が入っていた。オレンジ色のそれは、まさしく果物のオレンジを模っていて、その周りを飴のようなものでコーティングされている。そしてこれまた推測であるが、コーティングされた上に細かいオレンジピールのようなものが散りばめられている。
「美しい…」
感嘆の言葉を漏らした私に、ハトソン君は「見ても良いですか?」と問うてきた。
「あぁ、もちろん」
私は箱をハトソン君の机にスライドさせた。
箱の中を覗き込むハトソン君。
「本当に、綺麗ですね」
まじまじとそれを見るハトソン君も、その美しさにうっとりとした表情を見せた。
「さすが、魔女だな。こんなものをプレゼントされては、お返しはどんなものを要求してくるか怖いな」
「あ、でもこれと同じものを、今週末からネロでも出すみたいですよ」
「あぁ、そうなの?」
久しぶりの女性からのプレゼントに少々浮かれ気味になってしまっていた私は、思わず失態を見せてしまった。がしかし、お得意のすまし顔で難なくその場をやり過ごす。
「それは良かった。こんなに素晴らしいものは、是非みんなにも楽しんでもらった方がいい」
「そうですね。四月くらいまでは出す予定みたいなので、センパイも気に入ったら是非ネロにも食べに来てください… と美奈子さんもおっしゃっていました」
「あぁ、もちろん。ネロの売り上げ貢献にも繋がるしな」
私はハトソン君からケーキの箱を受け取り、静かに蓋を締めた。
「これは家に帰ってゆっくり頂くことにしよう」
「あ、それならまた冷蔵庫に仕舞っておきましょうか?」
「いや、ちょうど今朝買った弁当を給湯室に置いていたから、私が仕舞ってくるよ」
そう言って私は席を立った。
ハトソン君を横目に、私の心は少しワクワクしていた。あと半日仕事を頑張ればこのケーキを食べられると思うと、案外午後からの仕事にも気合が入る。これもまた魔女の魔法の効果なのかも知れないな、などと心の中で考えながら決して行動には起こさずとも、私の心が小躍りしていたことは否めないのであった。