散文NEO-4『腕時計』
とある平日、荒川さんの机を見ると小さな腕時計が置いてあった。
「お、荒川さん。その時計、もしかして…」
その時計はちょっと変わった形をしていて、目を引くものがあった。
「ryu'sHMWの時計じゃないですか?」
「えぇそうです。よく分かりましたね」
「はい、私も何度かお店に行ったことがあるんですよ。と言っても学生時代なのでもうだいぶ前ですけどね。ちょっと見てみてもいいですか?」
「えぇ、どうぞ」
荒川さんは丁寧にその時計を渡してくれた。
「ほう、やはりいいですね」
「東雲さんもお持ちなんですか?」
「いえ、持ってはいなくて。行くたびに欲しいなと思ってたんですけど、当時はなかなか手が出なくて」
「東雲さんに似合いそうですね」
そう言われるとなんだかまた欲しくなってきて、私は荒川さんの時計をまじまじと見た。
「去年の誕生日に娘から貰ったんですよ」
「それはいい娘さんですね」
その時、私たちの会話を聞きつけて花崎さんが声を掛けてきた。
「へぇ、可愛い時計ですね」
「娘さんからのプレゼントだそうだ」
「えー素敵です。私も欲しいかも」
そんな花崎さんの付けている腕時計は、荒川さんのものに反して割と大きめのものだった。
「花崎さんは結構ガッチリめの時計を付けているんだね」
そう言った瞬間、私はハトソン君の腕時計のことを思い出した。もしや、花崎さんにも人には言えぬエピソードが…
「そうなんです。私アウトドアが好きで、ついついこういうの選んじゃうんですよね。機能性重視っていうか。でもこういう可愛いのもいいですよね」
なるほど、そういうことであったか。確かに、花崎さんはスノーボードとかアウトドアスポーツをすると聞いたことがあった。
花崎さんは私から手渡された時計を見ながら惚れ惚れした表情を見せていた。
「娘と一緒にお店に行って選ばせて貰ったんですけど、若い子たちにも人気みたいですよ」
ニコニコした表情で荒川さんに言われた花崎さんは「えーどうしよう。今度お店に行ってみようかな」と本当に悩んでいる様子だった。
そんな姿を見て、私も久しぶりに店に行ってみようかと考えていた。あの当時は手が出なかったが、今なら買えない値段ではない。ちょうど新しい時計が欲しいと思っていたし、趣味で一つくらいは持っていてもいいかも知れない。
私は学生時代の記憶を呼び覚まし、久しぶりにワクワクした気持ちになっていたのであった。
三人で時計の話に花を咲かせていたところに、小林君が外出から帰ってきた。
「お疲れ様です。今戻りました」
「おう、小林君。お疲れ様」
小林君は何事かと思ってか、我々三人のほうに歩み寄ってきた。
「ところで小林君はどんな腕時計をしてたっけ?」
私の問いかけに小林君は歩みを止めた。
「腕時計ですか、してないですね」
「そうだったか、珍しいな」
「そうですか、結構いますよ。腕時計してない人。いまどきスマホがあれば事足りますし。それに腕時計って邪魔じゃないですか」
…邪魔…とは…
分かっている。小林君に悪気はないと。今帰ってきたばかりだし、彼の発言は我々を否定するものでは決してないと。しかしながら、それまで時計の話で盛り上がっていた三人は、その言葉に思わず動きを止めてしまった。
それはさながら、時が止まってしまったかのようであった。